ブロガーから見た「河童×コッペリア」稽古場日誌 Vol.2

ニュース ブログ

 

【前回までのあらすじ】

キャンディ江口氏に弟の生殺与奪を握られているのにも関わらず、両目洞窟人間(27歳男性)は知ったかぶりをしてしまった!

どうも、皆様。両目洞窟人間(27歳男性)です。
前回、芥川龍之介の『河童』とバレエ作品『コッペリア』を知ったかぶりしてしまった私は、家の隅でぶるぶるとふるえていました。
もし、ばれてしまったら。あの血走った目の男a.k.aキャンディ江口氏にばれてしまったら・・・。
おそらくですが、弟の命は一瞬で無くなり、そして私も首を切られて、亀の甲羅の上に首を乗せられて、果てしなく続く鳥取砂丘を亀が渡りきることになるのでしょう。
恐ろしいことです。

しかし、こんな私でも大卒。1年浪人をして、なぜか5年も通いましたが、大卒。その意地があります。
というわけで大卒らしく、今のうちに作品を読み込んで知識を間に合わせることにしました。
弟と私の首を守る。そのためにはなんでもする覚悟です。

というわけでまずは芥川龍之介の『河童』を読むことにしました。
しかし芥川龍之介の『河童』でよかった。
もし米米CLUBの石井さんが作った方の映画『河童』を見ろと言われた場合、私は何軒のTSUTAYAをはしごしなければいけなかったのでしょうか・・・。キャンディ江口氏のサンプリング元には感謝です。

私は普段、文学青年ぶっているのですが、読み込んでいる紙媒体は「実話ナックルズ」のため、覚醒剤の末端価格や関東連合の行く末には強いですが、文豪作品には弱く、芥川龍之介と言われましても、「お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らし、地獄の囚人がそれを登る様を見て笑う」という、カイジの鉄骨渡りの元ネタみたいな作品くらいしか知りません。
あと、すぐ死んだ人という理由で、太宰治とごっちゃになります。
玉川上水で心中した方が太宰。なんか自死っぽいのが芥川というイメージです。
ここは調べることもできますが、あえてしないスタイルで行きたいと思います。人生には余白も必要なのです。

で、長々と迂回路を通ってきましたが、いざ『河童』を読んでみると、不思議な、不思議な小説でした。
精神病棟にいる完全に気が狂ってしまったある青年の体験記を延々と聞くという話なのです。
文豪といえば堅苦しいイメージがありますが、気の狂った人の話を聞くと言えば、現代でもよくある語り口です(映画ではデヴィッド・リンチ作品や、海外ドラマだと近年ではレギオンがありますね)。

そしてその体験というのが『河童』の国に行ってきたというものなのですが、その『河童』の国は意外や意外、どこか日本に似ていると言うのです。
なにせ銀座に似た場所を歩いたと言っています。あの銀座に似た場所なのですから、相当日本に似ているのでしょう。
というわけで、この話は「河童の国滞在記」なのです。
ある男が、河童の国で河童に出会った~ってやつです。

文化も科学技術も当時の日本よりも遙かに発展していて、ある意味ではユートピアな河童の国。
しかし、河童たちは、私たちいわゆる人間の考え方とは真逆のアイデンティティを持っていました。
薄気味の悪いシーンがはさみこまれ、ユートピアに思えた『河童』の世界に、いびつさや狂気が顔を出しはじめます。
そして男は徐々に徐々にこの狂気に絡め取られていき、そして・・・といった内容でした。

そんな異文化である河童の国。
しかし読みながら、これは当時の日本を『河童』の世界に置き換えた小説であることがわかります。
全編が悪いジョークのように、全てが皮肉のように描かれています。
もし男女の力関係が逆転していたら? 簡単に労働者をやめさせることができたら? もし耳のない世界に音楽家がいたら? その他諸々。
音楽家の演奏を止める憲兵というのも現れます。耳がないのに、どうしてその演奏が不適切だといえるのか?というシーンは、否が応でも当時の小説家たちが置かれた状況を想起してしまうのでした。

とまあ、命からがらこの本を読み始めましたが、終いには夢中で読み終えてしまいました。
面白かったー!こんな本を芥川龍之介が書いていたなんて知らなかったので、サンプリング元を知ることが出来た、出会わせてもらったということでもキャンディ江口氏には感謝です。

いや、なにを感謝しているのだ。よくないよくない。敵に心を許してしまうところでした。
しかしキャンディ江口氏はこの作品をどのように自作品に落とし込んでいったのでしょうか?
そしてもう一つのサンプリング元であるコッペリアとは一体どういった作品なのでしょうか。

首を狩られないために、私は引き続き調べることにしました。

(つづく)

文章:両目洞窟人間
雑文系ブロガー。映画、演劇、本、音楽から、独創的な妄想まで。
ブログ:にゃんこのいけにえ

« »